自分のなかのジェンダー概念 色づかい

個人的なジェンダーの現状

私はXジェンダー

とまでは言わない。フリル、レース、長い髪の毛、そんな甘い、少女っぽいのが好きで、ボディコンシャスな ”女!!” って感じは苦手。アニメでいえばルパン三世の不二子ちゃんみたいなの。他人がそうであることは全然かまわない、見る分には好き、ただ自分とは別物。自分は女性っぽさの出る部分の身体のラインを出すことに吐き気がする。男性に見られる性、男性に選ばれる側の性であることを受け入れられずにいる。選ぶ側でなく、対等ですらない。

でも自分もそういう性であることを、受け入れないといけないとずっと思ってる、たぶん。意識的にそう思っていた時期もあるし、今も、深層心理に刷り込まれてる。忌避感はなかなかなくならないままに。

男性はこうあるべき、女性はこうあるべき。そういう現実に反感をもちながらも、現実で生きてきて少しでも物事をスムーズに、自分に有利に進めるために、バランスとってきた側面もある。女性であることは仕事上、マイナスに働くことが多い、一方で、珍しく、人事担当者に女性として気に入られた感じのあるときは、実力が足りてなくてもなんとかポストをつくってもらえたりすることもある。まあ、ないかな。でも、少しは。直近だと、私がいるとき開催してくれてたユニット会、私がいなくなったら開催されなくなったっぽい。「人数が増えたので」と開催してくれてたけど、人数でなく私が女性だったから歓迎として、してくれたのかなと思った。思い上がりかもしれないけど。

だからx(ツイッタ)で、男女平等でない現実を叩くポストをみて「でも女性として甘く見てもらえてる面もあるからな」と、共感しても "いいね" を押すまではできなかったりする。少し、自分が女性であるからと甘く見てもらえた現実を、思い返したりする。

2024年現在の世の中の、色分けに関するジェンダー意識

このテーマのトピックのひとつに、小学生のランドセルの色がある。私の年代だと、女子は赤、男子は黒。全学年で1人だけ、ピンクの子がいて、何かの話をするときに「●●さんって、ピンクのランドセルの子のお父さんなんだよ」みたいな言い方をされてたのを覚えてる。1人しかいないから、その言い方で特定できてしまうくらい、目立っていた。

そこから30年ほど経った今、地域によってはランドセルという硬く重く高い非効率的なものでなくリュックを使ったりもするようだけど、まだランドセルも残っている。色のバリエーションは増えて、赤・黒以外が珍しいということもなくなっているようだけれども、男子がピンクを選んだ時の親の複雑な思いをニュースで見かけたりする。

他人事でいたけど、自分のなかのジェンダー意識も同じだと認識させられた

自分の小学生時代なんてはるか昔、自分に子どもはいないし、ランドセルのニュースみてても他人事でいた。

が、脚本書いてて、自分のなかの色分けに古いジェンダー意識が染みついてるのを再認識させられたので、言葉にしておこうと、この記事を書いている。

脚本で私は、グミの粒を登場させた。青の粒と、緑の粒。私は基本的に女性しか登場人物にないが、グミたちには珍しく男性言葉でしゃべらせた。なぜ彼らが男性なのか、特に意識はなく。

ストーリーの重要なポイント、絵的に必須な到達点として、彼らが海にいく描写がある。彼らが海を見るシーン、ストーリー上重要である。それに対し先生から指摘があった。

「青や緑だと、海の色に溶けてしまう。ストーリー上必要な味の設定があって青や緑である必要があるのでなければ、グミの色は、海とは反対色にしたほうが良い」

脚本にする=映像で表現する、の意識が足りてないから、色なんて些末なことに思ってしまいそうだけど、映像映え、の前の、理解できる映像、をつくることは、踏まえておかなければならない最低条件である。

たまたまメロン味のつぶグミが美味しくて気に入ってたので、そのなかから、さわやかかなと思ってなんとなく青と緑をチョイスしただけで、青と緑であることは設定上必須ではなかったので、今、ピンクと黄色に修正していた。

ピンクの粒が男性言葉でしゃべっていることに違和感が生じてしまった。この違和感について言葉にしたくて、長々書いてみた。どうなのかなー。でもとりあえずこれでいこうか。来週、先生にも聞いてみよ。

www.kasugai.co.jp

同じ受講生のなかの高齢者の脚本がいつもルッキズム・旧来のジェンダー概念バリバリで、「どんなに上手になったとて、この内容ではコンテストで選ばれないよ」と反感持っていたけど、私も同類だ。ただ性的な内容に触れないだけで、旧来のジェンダー概念なの同じだ。GID当事者じゃないからそういうことは描けないからヘテロセクシャルとして書いてるだけで、自分には差別意識はないと思い込んでた。

刷り込まれた常識を変えるのは、簡単じゃない。知る努力がいつまでも必要だ。