技術の文章の書き方が役立っている

IT系のエンジニアの職種で今の会社で、齟齬なく伝わる手順書の書き方として日本語の使い方のポイントのついての資料を読まされた。

それがすごくいい内容で、IT/手順書、以外のすべての分野で役立つと思った。

  • 1文が長くなりすぎないよう、文を分けて書く。
  • 形容詞は、それが何を修飾してるかわかるように、被修飾語のすぐ前にもってくる。
  • 読点(、)の位置によって文の意味が変わることを認識して、正しく意味が伝わるように気を付ける

などなど。

会社の資産の扱いだと思うから、メモをすべてここに転記するのはルール違反かなと思うからしないけど、上記は特に、思ってたことを明言化してくれてありがとうと思うこと。ふわふわ思ってたけど、こうして明言化されると、より、意識できる。

思うままに書くと、長い一文になること多いもん。ブログはゆるゆるだからまだ思うままに書いたのが残っちゃってると思うけど、書いてて、文を区切りなおすことは、この資料を読んだ後格段に増えたと思う。

それ以外の自分の工夫・箇条書き

IT系の最初の仕事で上長に指摘されてから気を付けてたのが、長い段落にしないで、できるだけ箇条書きにすること。タイトルとか短文的なの書いて、そのあとを箇条書きにする。書き終えてから「長いかな?」「箇条書きにしてみよう」と、推敲の段階で作り替えることが多い。最初からはそうすることは、できないままだ。

その作り替えの作業って、楽しい。ただ区切るのではなく、文の構造を変えると、ひとつひとつの文章も変えることになる。

で、箇条書きになって短文が箇条書きで連なってると、パッと見の圧迫感が減る。1つ1つ違う内容で、1つ1つ理解すればいいというのが心理的負担を下げてくれるという感じがする。長い段落に見えると、1つを踏まえて次を読み、それを踏まえて次を読み、、と、理解するのに集中を要しそうだなと、パッと見の圧迫感がある気がする。

最初に指摘されたときから、箇条書きを意識してるうちに、そういうことかなーと思って、意識していて人の文章・自分の文章のみてきたので、たぶん、そう。

ただ最近、グーグル社かどこかの社内文書のルールで、「箇条書きしない」というのがあるのを知って、意外だった。分かりやすさのために敢えてやってることだったので。

箇条書きにすることで零れ落ちることがあるから、集中して読むことを前提に、箇条書きしない。みたいな理由。

こういう、文章の書き方と、それによってどのような効果があるのか、の話、おもしろい。興味ある。もっと知りたい。

それ以外の自分の工夫・体言止めしない

これは、会社で読まされた資料の一部だったと思うんだけど、勝手に解釈しただけだった気もするから、そこには入れずにこちらの項目で。

意識してみると、体言止めで文章書くことって多い。特に箇条書きだったり、手順だったりで。「ボタンを押下。」みたいなね。理由は忘れたけど「ボタンを押下する。」にせよって内容だった気がしてて、根拠とか理由忘れたまま、意識して最後まで書ききるようにしてる。

意識してみると、体言止めで終わらせてるのすごく多い。自分の文章見直したときに発見することが多くて、ポイントとして見てみると、無意識だったことがこんなに見えてくる、っていうこと自体が面白くて、理由忘れたまま、意識して直すようにしてる。

もっとないのかなー

日本語として正しく伝えるのに役立ってると思えている。文学的表現としてではなく、技術文書としての日本語の書き方だからこその淡白さというか、伝えるための正しさに全振りな潔さがとてもいい。自分で思って改善したりふんわり思いつつ徹底してこなかったことが、鮮やかに明言化されてて、こんなふうに明言化できることだったんだと、衝撃でさえあった。それに出会ったのが、表現的な分野でなく、仕事の、技術文書の書き方的な分野であったことも、意外で。こんなところでこんなおもしろい分野に出会うなんて。という。

もっと知りたいと思った。たぶん私が読んだ社内文書が、サマライズ版だったと思うから、時間があれば長いのも読みたいな。と思っているし、同様の内容の書籍が世の中にあるならとても興味がある。

願わくは、資格があるといいな。そういうのって、面白いと思っても読み切るのが難しかったりするから、目標があるといい。あとおもしろいと思って取り組める自信があるから、実践をポイント化されるとしたらいい評価を得られるのではという期待もある。

構造が変わると要素も変わる。脚本もプログラムもそんな感じ

脚本も、そういうとこある。ト書きを理解せずセリフ内に入れてしまう高齢の受講生がいて、こう書くんだよ、って、初心者仲間ながら、伝えたくなる。文の構造を変えると、一文の書き方も変えることになる。

でもこの、構造を変えると、ただ区切りが変わるのでなく、1文1文に何を書くかも変わってくるそのダイナミズムを感じながら書き換えていく作業、楽しいんだ。なんでなのか、、その変わりぶりを体感しながら書き換えるの、、あ、同じこと書いちった。なんでこんな楽しいんだろう。変わるもんだなあ~っていう、整理整頓の気持ち?きれいに整頓できた、みたいな感じ?なんでなのかはっきりわからないけど、楽しい。

プログラムもそういうとこある。構造替えると、分けて書くのではなく、内容が変わる。まだまだ難しく感じることが多いけど、こういうふうに抽象化できて、そうするとひとつひとつはこうなる。

って変わるのを体感することは楽しい。

言語をつくったような天才とか、それを使ってる天才たちがいて、その彼らが、現実世界を元にして、このように抽象化してつくるのがいい、って定めたものだから、オブジェクト指向って、一定の合理性があるとおもう。世の中の成り立ちとか、物を作ること、知ってると思ってた世界を自分で再構築する必要があるときに、どう考えるべきか。その点で、プログラム以外にも応用できる考え方だと思う。まだまだマスターできてないから、これをマスターして他分野にも応用して考えられる自分になれる未来を期待している。