課題の意味、役割

5作苦しみながら書いたのち、ようやく楽しくなってきた

今日は講座のあと自転車乗ってたら、いろいろネタ浮かんできて「あれも書こう、これも形にしてみよう」って楽しく思えて、良かった。取り組むとまたわからなくなるのかもだけど。こういうのネタ帳にかいておかなきゃ。ミソ帳もつくらなきゃ。

「楽しんで書く」大事だね。

課題の役割、意味-持ちネタを増やす

課題ごとに、テクニック的な裏テーマもあるのかなと思ってたけど、そうでもないのかな。お題を与えられて、それで自分であれこれ考えて、結局書くのは1つだけど、その過程でいろいろアイデアが浮かぶことが大事な気がする。そのひとつひとつのネタが。長編書くときの材料になるんだろうし。

1週間考えて、考えて、結局講座前日にやっつけで書いてるって感じだけど、1週間あーでもないこうでもない、といろいろ思い浮かべたそれぞれが、自分の引き出しになっていくのだと思う。

書いたものが長編の素材のひとつになったり、キャラづくりの出発点になったり

先日も、書いてて「あ、前回書いたぬいぐるみ登場させよう」とか、お題「きょうだい」のあとお題「ドライブ」だったとき、きょうだいをドライブに連れて行こうとか、思ったもの。自分で書いた短編があれば、あれとあれつなげて、、とか、いろいろ使えるなと思った。

だからこそ、今はそれをしない。幅を広げるために、いろんな方向性・いろんな登場人物で、いろんなことを書いてみる。それを使ってキャラ造形深めて作品作りに生かしたり、自分にとっての素材になる。

課題の原稿5-10枚を先生は「長編のパイロット版として」と位置付けていた。私はセリフとト書きで表現することでいっぱいいっぱいで、ささやかなことを描くのに文字数を使ってしまい、長いストーリーは作れていない。何も起こらないささやかなことを脚本の形式で書いてるだけ。でも、これから。今取り組んでる1つ1つを素材として長編思い描けるように積み重ねて成長していけたらいい。

いろんなこと、ネタたとえば

今までの自分のふらふらした人生が生かせる。いろんなこと書ける。ドキュメンタリーをつくる人たち、でもいいし、現代美術に関わる人たち、街づくり、子育て世代だろうにグループで旅行してたり、一人旅のことも書ける。グルメは、、でも食べることは私だってする。何でも書ける。派遣でもいいし、エンジニアでもいいし、会社員でもいい。お茶くみする庶務でもいい。コルセンでもいい。自分のことじゃなくていいけど、自己紹介にちょうどいいくらい。世界観伝えるのにちょうどいい。

文字に残ってない身の回りの個人的な小さなエピソード

あと今回「食べ物」で書いてて思ったけど、自分が聞いたり経験したりしたことって、一部はブログに書いてたりサイトに記事書いたりエックスに書いたりもしてるけど、書いてないこともたくさんある。本当に日常的な、報告するまでもないエピソード。そういうのが、現実にあったのに、その時を過ぎてしまえばみんなの記憶のなかにしか残ってなくて、記憶から消えてしまえば、または、その人が死んでしまえば、自分のなかにしかない。そういうのを、形に残すことができる。

自分だって忘れてしまうときがくる。ささやだけど、自分だけの大事な記憶。忘れたくない、残したいと思った。

脚本はその物語のなかで無駄なことは書かないから、事実を残したいなら本当はブログとかのほうがいいんだろうけど。一方で、事実の強さってある。時代考証的な整合性って、作り話だと大変な知識が要るけど、実際に起こったことって、時事的な時代・時事的な年齢層の一般的な役割・できごとと季節の関連性などのあらゆる点で、強い。解像度深く描ける。時代が経ったときにそのひとつひとつが味わいになると思う。

脚本って1人で完結できるのがいい

あと脚本て1人で書けるのがいいなと思う。監督と同じくらい、作品に深くかかわっているのに、自分ひとりで書くことができる。誰に依頼されなくても、お金もかからず、一人で書ける。一人で完結できる。それがいい。自分がフィクションつくりたいとき、人と協同でつくるには、共有するための脚本が要る。それを、誰に依頼しないでも自分で書ける。それがいい。

「楽しんで書く」!

シナリオセンターのときのメモを振り返って、出会いなおせてよかった言葉「楽しんで書く」。メモした自分に感謝。