東京⇒沖縄移住、唯一のホームシックは桜だった

東京から沖縄に移住して1年経過した。正確には、1年と1ヶ月。

18歳以降、自らの意思による引越しが多い人生を歩んでると思うけど、一度もなかったホームシックに唯一かかったのが、この春。桜のない春を過ごすのが自分にとってつらいということを初めて知った。先日東京にいって紅葉してる葉っぱをみて「そういえば沖縄って紅葉ないな」と思ったけどそこまで辛くはならなかった。1年=すべての季節を経過してわかったホームシックのポイントは、桜だけだ。5月病だって一度も感知したことのない私が、だ。

2023年の春、ニュースで各地の開花を見てて「え。辛い辛い。沖縄に桜咲かないの知らなかった」と思っていた。え。今思い出すだけで涙出てくるんだけど。なんなの。桜に紐づく切ない思い出とかはないと思うよ。なんでなの。

4月にたまたま福岡に行った。桜は散ってたけど、八重桜には間に合っていた。間に合ってて春の花を見れたことを心底うれしく思った。

とりあえず次の春=2024の春は、桜の時期に東京に行きたい!!!!

桜って毎年時期が異なるし、雨で散ったりして、まさに季節もの。飛行機を早めにとるとかはできない。直前だと飛行機は高い。どこまでお金出せるかな。。でも、次の春は本州に行こうと思う。桜が見れれば東京じゃなくてもいい、どこでもいいや。

ある一つの風景

東京在住時、勤務地は頻繁に変わっていた。若かったせいか毎度数ヶ月で馴染んでて"頻繁"とも思ってなかったけど。そんななか唯一長かったのが内幸町勤務。同じ就業先で 田町⇒浜松町⇒内幸町 に勤務地が変わってて、内幸町はいつからだろう、自分のなかでは長かったけど5年とか?

桜の時期、業後に遠回りして千鳥ヶ淵まで歩くときがあった。内幸町~桜田門半蔵門~四谷まで良く歩いてた私にしても、半蔵門から千鳥ヶ淵のほうに向かうというのはそう多い回数ではない。東京を離れてしまった今、数少なくとも歩いておいてよかったなと思う。

ある日桜が見ごろのなか千鳥ヶ淵を歩いてるとき、前方からおじさんが歩いてきてた。おじさんに桜の花びらが降り注いでた。その、祝福されてる感じ。そのおじさんが生まれたとき、お母さんお父さんがしたであろう祝福を想起させられた。すべての人は、祝福されて生まれてきたんだ。と納得するような神々しい美しい風景だった。とりたてて容姿が美しいわけでもないふつうのおじさんだったからこそ。

なんの個人的な事情ともかかわらないただの風景。でも印象深い光景。

人の名前も同じ

他人の名前を見るときにも思う。この人が生まれてきたとき、お母さんお父さんはどんな思いでこの名前をつけたんだろうって。その赤ちゃん=その人も、生まれたばかりの赤ちゃんにこれからいい人生を歩んでほしいと名前をつけようとするお母さんお父さんの気持ちも、尊く感じる。他人の名前を見てると、生まれたときの周囲の方の祈りを感じる。どんなにいやだって思ってる人に対してでも。だから人の名前を眺めてるの好き。メールのCC欄に人のフルネームが並んでるのみてて、少しの想像力で、少しずつの愛を抱く。祝福されて生まれてきたみなさんのお母さんお父さんを尊重したい、みんなを尊重していようと思う。

私はきつい言葉ばかり他人に投げかけてるようだけど、尊重する気持ちはあるんだよ。本当だよ。。